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待つ。

2005年02月20日 00:24

自分が外出しない時の雨は好きです。
晴れの日が続いた後だと余計に。
雨の音とかにおいとか、空の暗さとか湿気とか、
どうしてだかホッとするんですよね、不思議と。
こんなこと書くと、何か、暗い人みたいですけど(笑)。

雨に癒されてるのも多分、
凄まじかったからでしょうね、仕事が(笑)。
今週は月曜アタマから相当な量でしたが
特に木・金2日間は、朝から夕方まで昼休憩以外は
ずっとディスプレイから目を離せず、
キーボードは超高速で叩きっぱなし、でした。

お陰で昨日は帰ってから、
1時間ぐらい目が開けられず。指もガタガタで。
ピアノ弾いてる人がよく腱鞘炎になるというのが少し分かる気がした。
1日休んでようやくこうしてパソコンに向かえるようになりましたが...。
来週もこんなんだったら...。いや、考えるのはよそう(ガクガク)。

こういう踏ん張り時にこちらで見られる風間さん仕事があまりないというのは、
さぞツラいことだろうと思われるかもしれませんが、実はそうでもないです。
って最近ずっとエサくれエサくれ言っておいて全然信憑性ない感じだけど(笑)。

うーん、確かに寂しいのは寂しいし十分飢えてますが(笑)、
こういう待ってる間って、すごくワクワクするんですよね。
次の風間さんのお仕事が分かっている時も分かっていない時も、
「今度はどんなものを見せてくれるんだろう」と思うと。
そういう、夢見て期待している時間も幸せはシアワセで。
この感じは、ちょうどあれに似てるなあ、
電車がトンネルの中を走っている時に先にある、
今はまだ小さいんだけど明るい出口を見つめながら
あの向こうにはどんな風景が広がっているんだろうと想像している
ような、そんな感じ。
というようなことを考えているといつも思い出すのは、
私が高校時代に出会ったある短編小説です。
それは国語の教科書の最後の方に載っていた
わずか4ページほどのお話なのですが、
初めて読んだ時はかなりの衝撃を受けました。

戦争が始まって、
落ち着かなくなった主人公の20歳の女の子が、
毎日駅に誰かを迎えに行きます。
でも、待っている相手が誰なのかは、彼女自身にも分からない。
それでも毎日迎えに行かずにいられない。
駅のベンチに座って待ちながら、彼女は考えます。
自分は誰を待っているのか。もしかしたら人ではないのかもしれない。

じゃあ、何を?

どうして私がこの話に衝撃を受けたか。
それは、その主人公と全く同じように私もあの頃、
いつも「何か」を待っていたからです。
それが何かは当時は分かりませんでした。
いや、今も本当は分かっていないのかもしれませんが。

ただきっとそれは、
今の私でいったら『眠れる森の死体』、
というか風間さんの役者仕事のようなものなのだと思います。←結局そこか
これのためになら頑張れると思えるような。

私は人が生きていく上で命や食べ物と同じぐらい大事なものは、
「何かへの期待だとか希望」だと思っています。
パンドラの箱の話とか、健ちゃんの(というか金八先生の受け売りですが)
「夜、まさに明けなんとし、ますます暗し」ってのもそうですけど、
「箱の底にあったもの」とか「夜明け」がなくっちゃ、生きていけないですもんね。

「待つ」という行為自体は一見受動的なイメージがありますが、
こういう生きる糧を探すためのものと考えればむしろ、
一概にそうとは言えないのかもしれません。

また小説の話に戻りますがこれを読むと、
主人公の女の子の、いえ、作者自身の、
生きることへの希望のようなものへの強くて痛いほど切ない憧れ
をひしひしと感じます。
この人はそういうの、持ちたくてもきっと持てることがなかったのでしょうね。
この作者についてそんなには詳しくないので
実際どうだったかなんて分かりませんが、そう感じます。

肝心の小説の作者とタイトルですが。
太宰治さんの『待つ』です。
新潮文庫の『新ハムレット』に収録されています。

しかし今回ほんと訳分からん文でごめんなさい。
こんな生きるの何の大袈裟な話まで書いてるのはきっと
疲れてるんだろうな、私は...(笑)。
いやいや、頑張りますよ、オサナイのために。フヒ(笑)。
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