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ありがとう、はにくん。

2007年04月24日 23:52

かぜ気味更新ないみたいですね。
やっぱりこないだのは特別ってわけじゃなかったんだな(笑)。

今日はじじ猫の四九日だったので、
缶詰とお花を買って帰りました。
もうそんなに経ったのかという気持ち。


じじ猫、というか、
「はに」は私が中学3年生の秋にうちにきました。
その前にうちにいた子が3ヶ月ぐらい前の、
忘れもしません修学旅行前日に病気で亡くなりまして、
まだ1歳ちょっとの若い子だったのもあって辛い思いをしたので、
正直もう生き物はしばらくいいや......という気持ちでした。

しかし。
秋になって母が「やっぱり私は猫がいなきゃダメ」とか言い出し。
「私の誕生日プレゼント(母は秋生まれ)ってことで...、ダメ?」
とか懇願されちゃうとダメとは言えず(笑)。
というか後に発覚したことですがこれを言い出した時には既に、
にゃんこを紹介してくれるよう知人に頼んでいて
後は引き取りに行くのみという状態だったようです。おいおい(笑)。

にゃんこを連れに行く日。
用意した空のケージを片手でぶらぶらさせながら、
夜の長くゆるーい上り坂を母と歩いていきました。
昼はまだ暑い頃でしたが夜になると少し肌寒かったのを覚えている。

到着。そこは雑貨も置いてある服屋さんで、
にゃんこたちが私たちの前に連れてこられるまでの間、
確か私はお店に飾ってある何種類ものポストカードを見ていました。

それからガラスケースに入れられていた
2匹のアメリカンショートヘアーの子猫たちとご対面。
このどちらかを選んで連れて帰ってくれと言われる。
だけどどちらも可愛いしなかなか決められずにいると、
脚が太い子の方が丈夫で長生きしますよと助言があり、
じゃあそうしようかということになりました。

それがはにでした。

行きの上り坂を今度はだらだら下って帰りました。
空だったケージの中にはもう子猫がいるのに、
あまりにちっちゃく軽いので油断すると、
行きと同じようにケージがぶらんとしそうで怖かったから
ちょっと力を入れて持ったっけな......。

帰り道が車のガーガー通る大通りだったのが怖かったのか、
あの子はケージの中でミャーミャー泣いていました。
大丈夫だよ~、一緒に帰ろうね~と宥めながら帰った。

子猫の頃のはにはとにかく最強に可愛かったのですが、
よく食べるのですぐにかなりのでかさになりまして。
おとなになったら体重が6.5kgとかになったので、
長時間抱っこは到底無理でした。腕が痺れて(笑)。

そして若い頃はなんか興奮してしまうのか、
可愛がり過ぎるとよくかみつかれたりひっかかれたりと、
そういう時はやや危険な子でした(笑)。
1度随分と深くひっかかれたことがあり、
いまだに私の腕にその傷が残っているのですが、
今となってはこの傷が残っていてよかったと思っています。

しかし普段は至って温厚で落ち着いた子でした。
ぼっちゃんぽい子だった。滅多に怒らなかったし。
ちょっと怖がりさんなところもあったなあ。
ベランダにすずめの大群がバサバサバサッと来た時、
自分は家の中にいるにも関わらず逃げたし(笑)。
あとなんかすずめが来ると真似なのかなんなのか、
「チャッチャッチャッチャッ」とか言ってることがあった(笑)。
威嚇っぽくもなかったし。あれほんとに何だったんだろう。

そう大人しくて怒らない子だったけどでも1度だけ。
両親が大喧嘩して父が母を怒鳴った時に
2人の間にいた彼が父に向かって
毛を逆立てて威嚇した時には驚いたもんでした。
「ママをいじめんな!」って言ってたもんなああれは。

父は猫嫌いだったので余計に母の味方だったんでしょうけど(笑)。
それでも父はあの子のお陰で猫嫌いもちょっと治ったんですけどね。
この話を当の母に話したら「全然覚えてない」とか言われてがっくり。
私はあの子があんなに怒ったのを見たのは後にも先にもなかったぞ(笑)。

譲ってもらう時に助言された通り、
病気もほとんどしない子でした。
それまでうちにいた子たちがみんな短命だったので、
うちに連れてきてから100日間母は毎日
米と水を決まった方角に備えて願掛けしてましたし、
きっと短命だった4匹の先輩猫たちも守ってくれたのかな。

ただ急に元気がなくなって病院に連れていったら、
白血球の数が異常な数値で入院したことがありました。
伝染病か猫エイズかもしれないから検査します
とか言われましたが結局翌日ケロッと回復していて、
何だったんだあれってことになりましたけど(笑)。

それと予防接種以外で病院連れて行ったのは、
耳痒がったり肛門腺が破裂したりぐらいですか。
去年腎機能が低下して痙攣起こすまでは、
ほんとに元気な子でした。あんなに元気だったのに。

兄弟もいなくて母も夜遅くまで働いていて、
家では1人でいることがほとんどだった中高生の頃の私にとって、
はにはとてもかけがえのない存在でした。

うんと哀しいことがあった日も、
発表前とか本番前とか心配で眠れないようなことがあった日も、
何時の間にか傍にきてそっと寄り添っていてくれました。
それだけでどんなに心強かったことか。
そのからだの暖かさ。そのどっしりとした、重さ。

そしてはにのお腹に耳をくっつけると聞こえてきた、
喉を鳴らすゴロゴロ言う音とか消化のグーグー言う音。
聴いているとすごく心が安らいだものでした。

大人になってからも仕事で疲れて帰ってきたら、
はにが奥の部屋から玄関までてってってっと歩いてきて、
笑顔(に見えるんだこれが)で「にゃー」と毎日お出迎えしてくれた。
まるで当たり前のようなことになっていたけど、
あれですごくほっとできていたのが今となってはよーく分かるよ。

もともと甘えっ子でしたが年を取るにつれて、
どんどん甘えんぼになってきて、
私がベッドに寝転んでテレビ見てると
必ず上がってきてどさっともたれてきたし(笑)、
トイレに行けばトイレの中にまでついてきたし、
お風呂に入って出てくると脱衣所の外に
ちょこんと座って待っていたりして。
本当に私のことが大好きでしたよあの子は(笑)。

だけど私の方は朝出勤の支度で忙しかったり、
他事しててであまり相手をしてあげられなかったりってこともあって。
限りある命だし特に近年はあと数年だと分かっていたから、
できるだけ傍にはいたんだけどやっぱり悔やまれます。

でもそういう時も拗ねるとか怒るとかダダこねるとかじゃなく、
ちょっと哀しそうに、しょーがないね~って感じで
すいーっといなくなるだけで。できた子でした。親ばかだけど。

もともと落ち着いた子でしたけど、
じいさんになってからは特にそうだったなあ。
私が守ってあげてるつもりのとこもあったけど、
ほんとはこっちが守られていた(というかお守されていた)
のかもしれないと思うことがよくあります(苦笑)。
甘えてくる振りして実は甘えさせてくれていたというか。

というか本当にじいさんだったのかも。
っていう説もあるんですけど。母説ですが(笑)。
昔、母方の祖父が亡くなった後、母の枕元に立って、
「動物に生まれ変わってでもお前たちのところに戻ってくるから」
と言ったんだそうな。そしてはにの温厚な性格が、
おじいちゃんそっくりなんだそうですよ。へええ。

この祖父が亡くなった時には
私はまだ随分幼くて言葉を話せませんでした。
この子はいつしゃべるんだろうなあ~
と毎日のように言って楽しみにしていたそうですが、
それを待たずに亡くなってしまいました。
でも私はその葬式の時の記憶はあったりします。

その後結構すぐ言葉を話すようになったものの
いざ話し出したら機関銃のようにおしゃべりな子になってしまい、
おじいちゃんが生きてる内だったらねえと言われたようです。
ごめんねおじいちゃん。でも今はめっきり口数減りましたワタクシ。

まあほんとにおじいちゃんの生まれ変わりかどうか
ってのは分かりませんし怪しいもんですけれどもしそうだったとしたら、
私の後ばっかりついてきたってのは何となく分かるような。
でも単なる甘え猫だったって気がしますけどね......(笑)。

で、結局何が言いたいかっていうと、
それだけ長い間ずっと一緒にいた子が亡くなって、
当たり前にいたところにもういないってことは、
やっぱりすごく寂しいということですね。

亡くなったのは腎不全ででした。
元気なくなったなと思ってからあっという間でした。
病院に連れていった月曜に危篤宣告をされて、
水曜に日付が変わってすぐに逝ってしまった。
家でずっと付き添って看取れたことがせめてもの救いでした。

月曜に病院から連れて帰ったら、
もう自力では体を動かすことができなくて
頭も起こせずぐったりとしていた。
食事もトイレももうできなかった。
布団の上に横になって眠ったり目を覚ましたりするだけ。
床ずれができないように時々体の向きを変えてやりながら、
ずっと傍にいてあげることしかできませんでした。

そんな状態だったのに火曜の昼、
不意に頭を起こして天井近くをぐるりと見まわした。
後から思えばあの時お迎えが様子見にきたのかなと。

火曜の晩、亡くなる30分ぐらい前、
横たわっているはにの横に並んで寝て、
顔をじっと見つめながら頭を撫でてやったら、
私の目をじっと見つめ返してきた。
恥ずかしがりなのでいつもは目が合うと反らしちゃうのに。

もっと一緒にいたかったのに残念だなあ。
でもお迎えが来ちゃうからどうしようもないみたい。
今まで、ほんとに楽しかったね。ありがとう。
僕は先に逝っちゃうけど、しっかりね、かのちゃん。

と、はにの瞳が言っていました。
特に4行目の意味合いはかなり強かった気がします。
あの目は生涯忘れられないと思う。

亡くなった水曜ははにの棺のそばで、
あの子も好きだった音楽をかけてみた。
最初は『アメリカ』バージョンのカノンをかけたけど、
改めてあのドラマの選曲はすごいと思う。
「兄」の気持ちってこんなんかな。
哀し過ぎたのですぐ曲を変えて
『主よ人の望みの歓びよ』にしてしまった。
はにが天国に上っていけるような気がしたから。

木曜だったかたまたまつけた「みんなのうた」で
遊佐未森の『クロ』がかかっていた。号泣。
午後、一緒に最後の昼寝。

金曜はベランダに出てお日様の光や空を見せた。
亡くなった後ずっと左側を下にして寝かせていたので
それまで全然気付かなかったけど、
抱き上げたら左目に涙が溜まっていて、
それがころりと落ちそうになった。泣きそうになった。
夕方、翌日の火葬のためのお花を買いに行く。

土曜に火葬車に来てもらう。
体重をはかったら全盛期は6.8kgぐらいあったのに
3.2kg。小さくなっちゃって。

お骨上げして骨壷に納める。
爪の骨がイチョウの葉のかたちのようだった。
もうあの子のかたちってないんだな。

火葬してもらっても亡くなってすぐの頃は、
ある日ひょっこり帰ってくるんじゃないか
という気すらしたのですが当然そんなことはなく。
死んでしまったら本当にこの世では2度と会えないんだな
ということを現在痛感しております。当たり前のことなんだけど。

ただ、寝てる私のところに気配が来たり、
2週間ぐらい前にも母が泣き声をハッキリ聴いたらしいので、
しばらくの間はまだ家にいたようですけどね。
今はもうきっといないんじゃないかなあ。多分。

そういやよく考えたら亡くなったのを直で看取って
しかも火葬まで付き合ったっていうのは、
人間でも動物でもはにが最初だったんだよなあ。

まあだんだん時間が経つにつれて
だいぶ落ち着いてはきたものの、
まだ急に涙腺が大決壊することがあります。

それに毎日朝起きた時と帰ってきた時と夜寝る前に
写真とお骨に話しかけているとどうしてもね、
生きている間に精一杯愛情を注いだつもりだったけど、
あの時ああすればよかったと後悔の念が起こったり、
こうできなくてごめんねと済まない気持ちでいっぱいになったり。
謝ってばっかりになっちゃったりして。
だからこないだのセクシーボイス&ロボの、
ごぼ蔵の気持ちはよく分かりました。

でもこっちがそういう気持ちでいることは、
あの子の重荷になっているのかもしれないし。
どういうふうにお参りしてどういう風に過ごすことが、
あの子の幸せというか望むかたちになるんだろうなあって。
だけど今あの子がどういう状態なのかが分からないと、
それだって分からない。ということで。

今まで哀しくて何となく開けなかった
江原さんの本を読んでみました。
今月のWとかP買いに行った時に
たまたま本屋で目にとまって一緒に買ったのでした。
まだ全部読めてないのですが随分気が楽にはなりました。

愛する存在が亡くなって寂しさをひきずるのは、
自分が相手に依存していたからだというのはそうだな~と思いました。
ひとりっこってのもあって結構孤独には耐性あると思うし、
食事とか旅行とかも1人であらかた大丈夫だし、
人に自分の悩みとかほとんど相談なんてしたりしませんけど、
あの子にだけは精神的に相当頼ってましたからね。耳に痛かった(笑)。

そしてあまり哀しんでばかりいたり、
執着していたりすると成仏できないというのを読んで、
もうそろそろ笑って見送らないとなと。
そう、この17年半の間、幸せでしたからわたしたち。

はにくん。うちにきてくれてありがとう。
17年半、すごく楽しかったよ。
はにくんには本当にたくさんのことを教わったね。
私もはにくんに何かを与えられたならいいけれど。

はにくんはうちにはもったいないぐらいのいい子だったし、
きっと天国に行けるから大丈夫だと信じているよ。
17年半、お疲れ様でした。ゆっくり休んでね。
ご存知の通りダメダメな姉ちゃんではありますが、
毎日はにくんの幸せを心から祈っています。
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